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写メ日記 | よしえモン劇場のあらすじ
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よしえ 奥様 |
よしえモン劇場のあらすじ |
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おはヨッシー( 'ω' ) 最近の写メ日記での。 実家の売却で得たお金をオトン(69)が全部管理する…と決めた展開に。 衝撃を受けた読者さまが多かったのですが。 このままでは、 オカンが亡くなって、すぐにオトンが好き放題しているように見えるかもしれないので。 オトンが極悪非道ではないことをお伝えするために、よしえモンの実家のドタバタ劇場のあらすじをサクッとまとめました。 サクッとするつもりが、オトンの若き日から半世紀分の内容で、かなりの長文(2600文字超)になりましたので、興味がない方はスルーしてくださいまし。 また、感情移入しすぎる方は、もしかしたら、読んでいて、つらくなるかもしれないので、ご注意くださいまし。 万が一、文字数制限などで、途中で切れている場合は、セレブリティーの公式サイトにて、ご覧くださいまし。 オトン(りんご農家のボンボン)は青森から京都のR大学進学のため約50年前に上京 上京の際、持参した前期の授業料80万円を3日で飲み明かす 夏休みに青森の実家に督促の連絡が行き、使い込みがバレて勘当、同時に大学退学 趣味のギターを5万円で質に入れ、12,500円の6回払で買い戻すという、実質年利、約332.44%が人生初の借金 勘当&退学後とりあえず住み込みまかない付の炉端焼きの店で働く 系列のお店で黒服をする そこでホステスをしていた7歳年上のオカンとデキ婚 ・・・ ・・・ なんだか書けば書くほど、どうしようもない感じがするけど、続けます(;´д`) スナックでホステスをしていたオカンは。 中卒で松下電器に女工として就職 両親の入院費を稼ぐために、18歳からホステスをする お客さんとの間に堕胎を繰り返していたから、オトンとの間に私がデキた時は堕ろせずデキ婚。 堕胎と17歳からの喫煙で、私の妹は800gの超未熟児で誕生し、なんとか一命を取り留めたものの 知的障害、紫外線を浴びることによる視覚障害など心配された妹は、私の存在が刺激になったからか、普通に進学するも。 天然パーマを理由にイジメにあう…だけでなく、オマタを触るクセや、さ行が発音出来ず、オトンとオカンから虐待されていました。 オトンとオカンは、やめさせようと「しつけ」のつもりだったかもしれませんが。 泣き叫ぶ妹を暗い部屋に閉じ込めたり、同時180センチ100キロあったオトンが逆さ吊りしたり、しつけの域を超えたものでした。 オトンはタクシードライバーで、私が生まれた翌年に購入した最初の家のローン返済もあり、夜勤を頑張っていました。 オカンは人付き合いが苦手で、学校行事も町内会の行事も参加せず、家計のためにパートの仕事をしていましたが、1年くらいで転職を繰り返していて。 とにかく貧乏で。 私はランドセルを買ってもらえず、オンボロのペタンコのランドセルだったり。 布を筒状にして、ゴムを入れただけのスカートをはいていたり。 新聞をとっていないから、図工の時間に古新聞を持って行くことが出来なかったり。 早く家を出ることばかり考えていました。 今回、売却した家に引っ越してからは、 近所に馴染めなかったオカンが統合失調症(同時は精神分裂病と言われていた)で、オトンと毎晩ケンカ。 オカンは、1日500円しかオトンに渡さず、機嫌が悪いと2,000円渡して 「今日は帰ってくるな」 と言っていました。 当時のオトンの日記を偶然、見たことがあるのですが。 オトンは2,000円でサウナに泊まったり、大きな公園の駐車場で車中泊していて、よく職質されていたようです。 ある日の日記には、 「公園を全裸で歩いてみた」 と書いてありました。 そんな生活が1年ほど続いた私が高校1年の9月。 激しい口論から、 オカンは新居の壁に生卵や醤油をぶちまけ、オトンはオカンの髪が抜けるほど掴んで振り回すほどのケンカになり。 翌日、オトンは。 「ワシ、このままやとオカンを殺してしまう。あとは頼んだ。」 と家の権利書を私に渡して失踪。 しばらく私と妹とオカンの生活になりましたが。 オカンの病気(幻聴、妄想)はますますひどくなり、ある日の午後。 「貸した金返せ」と傘を振り回してオカンが来ている…と近所の人から、私が通う高校に電話がありました。 もちろん、お金なんて貸していなくて、オカンの妄想です。 もう限界や…と思うも、オトンもいなくて、どうしたらいいかわからず、とりあえず担任の先生に家の状況を話して帰るも。 オカンは、ついに私と妹も家に入れなくなりました。 その日は、コンビニで買った板チョコ一枚だけ食べて、家の駐車場で三角座りのまま寝て。 夜明けとともに宇治の伯母のところに妹と行き、全てを話し。 オカンの姉たちが役所に相談し、精神病院に強制入院の手配をしてもらって。 立てこもるオカンを警察の協力で出して、暴れるオカンを無理矢理救急車に乗せて、強制入院させました。 その翌日、仙台のオトンの姉から、 「お父さん、仙台に来たよ」 と連絡がありました。 オトンは仙台経由で故郷の青森に行こうとしていたようです。 オカンが入院したことを伝え、青森には行かず、戻って来てもらいました。 が、オカンの病院からの帰り、夜、峠道を通っている時に、下り坂でアクセルを踏んで、 「このまま心中しようか?」 と言われたので、オトンの精神状態もおかしかったのだと思います。 この頃が、私の人生の底でした。 オカンは3ヶ月間入院し、退院してきてからは、パートで働いたり、一見普通でしたが。 独裁者な部分は変わらず。 私は高校卒業と同時に家を出ました。 そのストレスや、職場の人間関係から、今度は妹が統合失調症になりました。 障害年金を受給するとど、行政(福祉)の支援(自立訓練施設への入所など)の案内があったのをオカンがシャットアウトして20年以上軟禁状態にしたから、妹は悪化し、 オトンはどうすることも出来ず、外で時間を潰すために借金してパチンコしたり。(現在残債80万円) 借金返済などのために会社のお金を400万円ほど借りたり。 会社と裁判したり。 数年前に、オカンの肺がんと大動脈瘤が見つかってからは、破裂しないように、オカンの血圧が上がらないように、タクシードライバーのパートをしながら、奴隷のように家事をこなしていたみたいです。 オトンを15年間、支えていてくれたのがパートナーさんで。 パートナーさんがいなければ、オトンは横領犯となっていたかもしれない…と思うと感謝しかありません。 結局、それぞれつらかったから、誰が正しいとか、悪いとか、答えはナイと思います。 答えがあったところで、今からどうすることも出来ないので。 オトンが幸せなら、よきです。 リピさまには 「よく家庭分裂しなかったね。」 と言われました。 たしかに、仙台に嫁いだのを機に、縁を切ることも出来たかもしれないけど。 やっぱりムスコ殿たち(孫)の存在は大きくて。 ムスコ殿たちが行くと、オトンもオカンも喜ぶから、縁を切ることは考えたことがなかったです。 そして、リピさまのひとことで。 また期待が持てました。 そのひとこととは…? 長くなりましたので、明日にしまふ。 ではでは。 今日もゴキゲンな1日を よしえでした。 また明日
[2025/04/08 10:10]
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