まんが家の卵でした
2022/06/03 09:09:46
おはようございます♡よしえです♫
最近、イラストを描いてアップしておりますが。
意外と反響があり、ビックリしていまふ。
元彫り師(?)のリピ様は。
「自分、絵に自信があったんスけど、あのイラスト見て鳥肌が立ちました」
とおっしゃっていました∑(゚Д゚)
いやいや、褒めすぎっス。
で。
今までは、模写をアップしていましたが。
実際、どんなマンガを描いていたかと言いますと。
育児マンガやラブコメ(+ミステリー)の少女マンガを描いていました。
中3の時に、担当編集者がつき、まんが家の卵になりましたが。
ご都合主義な私のストーリーは、ダメ出しされまくりで。
描くのがイヤになり、描かなくなりました。
でも、出産後、たまひよの育児マンガコンテストに応募して、最優秀賞をいただいたりして、ちょいちょい描いていました。
画像は【久保姫の時代】という歴史漫画のコンテストに応募した原稿の複製です。
画風が少女マンガすぎて、落選しましたが。
当時、京都在住の高校生の私が描いた漫画の舞台である東北に嫁ぐことになるとは、なんとも不思議な縁を感じます。
今後、マンガを描くことはナイですが、いつか孫と一緒にお絵描きするのを楽しみにしていまふ(*´꒳`*)
ではでは。
今日もベストな1日を♫
よしえでした。
また明日♫
******
【久保姫とは】
伊達政宗の祖母。
当初白河城主・結城氏のもとへ嫁入りすることが決まっていましたが、久保姫の美しさに一目ぼれした晴宗が輿入れの道中、待ち伏せして襲撃し姫を略奪したとされます。
南東北の戦国時代の幕開けになったと言われる事件ですが。
現代ではありえない、”人さらい”という衝撃的な出会いをしたにも関わらず、夫婦仲は良好で、怒り狂う久保姫の父重隆を姫が説得し、男子に恵まれなかった岩城家に第一男子を養子にするという条件を飲み、約束通り最初に生まれた男子を差し出し和解しました。
こうして、長男は久保姫の実家である岩城家を継ぎ、二男を伊達家の嫡男としたのでした。
その後もラブラブで、晴宗は生涯側室を持つことなく、久保姫との間に6男5女をもうけます。嫡男となった男子が、伊達輝宗・政宗公の父です。
もしも久保姫が、晴宗のハートをわしづかみにするほどの器量じゃなかったとしたら…政宗公は生まれていなかったかもしれない。
そうなると、この仙台という街も在ったかどうか…
という、歴史の表舞台にはほとんど登場しませんが、とても大きい存在の女性です。
そして政宗公は、母親よりも祖母に可愛がられ、政宗もまた祖母を大変慕っていたようです。
1578年(天正5)に晴宗が亡くなると、久保姫は髪を下ろし、亡き夫の菩提を弔う日々を送ります。
その後、豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達家は領地の信夫・伊達両郡を失ったため、政宗は岩出山城へ、それに伴い久保姫も白石城(現・仙台市泉区根白石)へ移ります。
1594年(文禄3)久保姫は亡くなり、亡骸は晩年を過ごした根白石の白石城内の屋敷跡に葬られました。法名は栽松院殿月盛妙秋禅尼大姉。
政宗は亡き祖母の供養のため、墓所の他に仙台城下(現・仙台市若林区連坊)に久保姫の法名からとった栽松院という寺を創建し、位牌所としました。
******
最近、イラストを描いてアップしておりますが。
意外と反響があり、ビックリしていまふ。
元彫り師(?)のリピ様は。
「自分、絵に自信があったんスけど、あのイラスト見て鳥肌が立ちました」
とおっしゃっていました∑(゚Д゚)
いやいや、褒めすぎっス。
で。
今までは、模写をアップしていましたが。
実際、どんなマンガを描いていたかと言いますと。
育児マンガやラブコメ(+ミステリー)の少女マンガを描いていました。
中3の時に、担当編集者がつき、まんが家の卵になりましたが。
ご都合主義な私のストーリーは、ダメ出しされまくりで。
描くのがイヤになり、描かなくなりました。
でも、出産後、たまひよの育児マンガコンテストに応募して、最優秀賞をいただいたりして、ちょいちょい描いていました。
画像は【久保姫の時代】という歴史漫画のコンテストに応募した原稿の複製です。
画風が少女マンガすぎて、落選しましたが。
当時、京都在住の高校生の私が描いた漫画の舞台である東北に嫁ぐことになるとは、なんとも不思議な縁を感じます。
今後、マンガを描くことはナイですが、いつか孫と一緒にお絵描きするのを楽しみにしていまふ(*´꒳`*)
ではでは。
今日もベストな1日を♫
よしえでした。
また明日♫
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【久保姫とは】
伊達政宗の祖母。
当初白河城主・結城氏のもとへ嫁入りすることが決まっていましたが、久保姫の美しさに一目ぼれした晴宗が輿入れの道中、待ち伏せして襲撃し姫を略奪したとされます。
南東北の戦国時代の幕開けになったと言われる事件ですが。
現代ではありえない、”人さらい”という衝撃的な出会いをしたにも関わらず、夫婦仲は良好で、怒り狂う久保姫の父重隆を姫が説得し、男子に恵まれなかった岩城家に第一男子を養子にするという条件を飲み、約束通り最初に生まれた男子を差し出し和解しました。
こうして、長男は久保姫の実家である岩城家を継ぎ、二男を伊達家の嫡男としたのでした。
その後もラブラブで、晴宗は生涯側室を持つことなく、久保姫との間に6男5女をもうけます。嫡男となった男子が、伊達輝宗・政宗公の父です。
もしも久保姫が、晴宗のハートをわしづかみにするほどの器量じゃなかったとしたら…政宗公は生まれていなかったかもしれない。
そうなると、この仙台という街も在ったかどうか…
という、歴史の表舞台にはほとんど登場しませんが、とても大きい存在の女性です。
そして政宗公は、母親よりも祖母に可愛がられ、政宗もまた祖母を大変慕っていたようです。
1578年(天正5)に晴宗が亡くなると、久保姫は髪を下ろし、亡き夫の菩提を弔う日々を送ります。
その後、豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達家は領地の信夫・伊達両郡を失ったため、政宗は岩出山城へ、それに伴い久保姫も白石城(現・仙台市泉区根白石)へ移ります。
1594年(文禄3)久保姫は亡くなり、亡骸は晩年を過ごした根白石の白石城内の屋敷跡に葬られました。法名は栽松院殿月盛妙秋禅尼大姉。
政宗は亡き祖母の供養のため、墓所の他に仙台城下(現・仙台市若林区連坊)に久保姫の法名からとった栽松院という寺を創建し、位牌所としました。
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